バルト三国最南 リトアニア・十字架の丘

バルト三国最後の国、リトアニアに入りました。

国境はその建物は残ってるものの、まったくノンストップで、そのまま通過。
ユーロ圏内の移動のような感覚です。

ますは、『十字架の丘』へ立ち寄りました。

小川がせせらぐ、気持ちいいくらいの草原に、
突如表れる、大小おびただしい数の十字架。
まさに壮絶。まさに圧巻。まさに衝撃。
高さ5m以上の芸術的な十字架から、鈴なりにかけられたロザリオまで、
とにかくコンモリとした丘を埋め尽くし、さらに溢れる様に広がっています。

調べてみました。
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最初の十字架は、1831年のロシアに対する蜂起の後に、処刑や流刑にされた人々の為に立てられたらしい。
それから十字架の丘は、抑圧された民族と宗教の象徴として扱われてきました。
ソ連時代、この丘は禁域とされ、、KGBと軍はブルトーザーを使って何度も十字架をなぎ倒し、焼き払った。
しかしそのつど人々は、夜陰にまぎれて、新たな十字架を立てた。
そのため川を塞き止めて水没させる計画や、発掘調査と称して丘を壊してしまうことも命令されたが、リトアニア当局内の人間さえも、さまざまな理由をつけてこれに手を加えることをためらったといわれている。
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とのこと。

抑えても抑えきれないのが、ホンモノの思いだし、
止めろといわれたら、むしろ加熱するのが信念の情熱なんだろうね~。


近年は、ますます十字架の建立がさかんになっているそうで、世界中からここに訪れ、十字架を残していっているようです。
もし10年後にきたら、丘どころか草原イッパイに十字架が広がっているかもしれないね